日々の情景

未来の自分が見返すための日々の日記です

僕の30代が終わっていく(2022/07/19)

明日が僕の誕生日で40歳となる。なので僕の人生における30代は今日で終わってしまうのである。

どんな30代だったんだろうと少し振り返ってみたい。

2012年7月20日はどんな日だったのだろうか。もちろん、この日記も書いていなかったので特に何も残っていない。

ただ、その頃僕は中小企業診断士の資格勉強1年目で1次試験を目前に控えており勉強に集中していた。Googleのスケジュールを見ると仕事と当時通っていたTACの予定でびっしりである。仕事もすごく頑張っていた頃だと思う。

確か当時担当していたシステムの連携システムが他社で刷新されて、その差分を吸収するための開発をリリースしたばかりでドタバタしてたっけ。家に帰るのが23時とか24時とかが続き、休日も出社していた気がする。試験前で勉強時間が確保できずにかなりイライラしていた記憶がある。

それから8月に入り試験のほぼ直前に父方の祖母が亡くなったんだった。僕は幼い頃から祖母に優しくされていたので祖母のことは好きだった。たまにしか会えないこともあったし。でも、当時の仕事で東京出張と重なってしまい葬儀に参列出来なかったんだった。

いや、もしかしたら葬儀がなくても試験のこともあって参列しなかったのかも知れない。今思えばはっきり言ってダメダメな30代の始まりだった。

結局、その1次試験には合格したものの、2次試験が不合格となりその年は進展がなかった。

でも、その年に当時の仕事を辞めて転職するって決めたんだったな。多分、色々と勉強して自信が付いていた頃だと思う。

その次の2013年は転職が1番大きな変化だった。慣れるまでは大変で耳鳴りがしたり体調不良もあったっけ。

で、その転職の合間に1ヶ月間の休みがあったのでハワイへ旅行したのだけど、その時に母方の祖父が亡くなってしまい葬儀に参列出来なかったんだ。つくづくクズな男である…。向こうに滞在中はそんなことになっているとは知らなかったんだけどね。

2014年になると新しい仕事にも会社にも慣れて、旅行に行ったりと楽しい生活を過ごしていた。妻の両親と九州旅行に行ったりもした。IT企業から非IT企業への転職でプライベートはすごく余裕が生まれた。

でも、その年の12月に妻の病気が発覚してどん底まで叩き落された。もちろん妻は今も健在で元気だけど当時は本当に辛かった。辛かったけどその気持ちを吐き出すところがなくて自分でなんとかせねばと必死で過ごしていた。でも、兄に電話でその事を伝えた時に抑えていた感情が溢れてしまい電話越しに号泣してしまったのを覚えている。「お前がしっかりせんと」と励ましてもらったことは一生忘れないだろう。

2015年は妻の手術から始まった。入院生活の付き添い。幸いなことに1月末には退院して2月くらいには落ち着いていた。でも、それからは僕のなかで大事なことはと問われるとしたら、妻と居られることが1番の重要なことだと思うようになった。

それから5年は妻の定期検診のたびに結果の心配をしたりして過ごしたのだ。幸いすべて杞憂に終わったわけだけど、世の中には同じ思いをしている人たちがたくさん居ると思うと胸が苦しくなる。

で、自分の胃の調子も悪かったので胃カメラを初めてしたのもこの年。特に何もなかったので良かったけれど。

そして、この2015年は僕が待ち望んでいた中小企業診断士の登録の年だった。実務補習へ行ってたくさんの優秀な人達と出会って、なんとかそのなかでもやっていけそうな気がした。

でも、僕は妻のこともあり、独立とかはあまり考えずに活動に消極的になってそのままフェードアウトしてしまったのだ。

もしかしたら妻のことがなくても、営業とかが苦手な僕だったら同じ結果になっていた気もする。まあ、今納得しているので良いんだけど。仕事をバリバリしたいという想いが薄れてしまっていたのかもしれない。

その次の年。2016年はどんな年だったかな。ニューヨークへ旅行に行った。だから英会話を勉強していた気がする。結局途中で終わっちゃったけど。この頃までは色々と勉強というかチャレンジしていたな。まだ30代前半だったんだ。

その翌年の2017年はサンフランシスコへ旅行。その時に見つけたサンフランシスコのユーチューバーを見て、自分でもやってみたい!と思ったんだったけ。でも、何もない自分がYou Tubeを始めても誰も見ないだろうと思って当時ハマっていたドローンの映像や旅行の映像を投稿していた。もちろんほとんど再生されないしチャンネル登録されるなんて夢のまた夢。その1年後にバイクチャンネルとして急成長するんだけどね。

この辺りの2016年と2017年って何をしていたんだろうと思う。妻の病気の定期検査がなくなる5年後をひたすら待ち望んでいた気がする。

思い出したんだけど少しでも健康のために自転車を趣味に始めたりしたのがこの頃だ。今はあまりやっていないけどしまなみ海道を走ったりしたな。

2018年は引っ越しをした。前に住んでいたマンションにシロアリが大量発生したんだった。鉄筋コンクリートなのに。

で今のマンションに引っ越して、バイク置き場があったのでカブを購入したんだった。そこから今までつながっているというかYou Tubeを続けている。もう4年弱になるんだなー。

2019年はモンキーを増車したんだった。この頃はバイクが楽しくて、You Tubeのチャンネルの成長が嬉しくて。そればかりだった。でも、そのおかげで兄との共通の趣味が出来て一緒に色々と出かけられたのが楽しかった。昔、実家に住んでいた頃に2人で車で出かけたりしていた頃に戻れたようで嬉しかった。今も続いている大事なことだ。バイク、気を付けて続けたい趣味です。

そして2020年。コロナ禍のはじまりである。出かけるのが趣味だった僕にとってはキツい1年だった。でも、スキを見て車で九州まで行って帰りにフェリーに乗ったりしたな。あれはGo toキャンペーンもありお得で良かった。

2021年も引き続きコロナ禍。帰省も出来ない日々が続いた。兄とのツーリングもかなり減ってしまった。なんだか毎日生きているだけって感じだった気がする。あんなに好きだったYou Tubeもほったらかしてしまったり。でも、この日記を始められたのが良かったと思う。日々の思いを少しずつ文章に残していきたい。

でもこの年の途中から体調で気になることがあって通院しだしたんだっけ。これは今も続いているからちょっと辛い。

そして2022年。年初はコロナが落ち着いていたので帰省も出来た。普通の年の始まりかと思ったけれど、やっぱりコロナ感染者数が増えてきて自粛モードが続いた。でも、沖縄に行ったり色々と出かけているわな…

そんな30代を過ごしたわけである。振り返ってみるとあまり何も出来ていないけど、10年なんてあっと言う間だと思う。本当にあっと言う間だ。

子供の頃に思い描いた30代とはちょっと違う。思っていたのは子供がいて、仕事を頑張って。そんなおじさんになっていると思っていた。

現実は子供はいない、でも愛妻家(?)。仕事はそこそこで原付バイクに乗って喜んでいるちょっと変わったおじさんだ(笑)

でも、僕は幸せだと思う。妻と出会えて、両方の両親も健在で。兄と共通の趣味があって。友達とはほとんど会わなくなったけど、それでも十分楽しい日々を過ごしている。

この10年では妻の病気が僕にとっての1番大きな出来事で、健康第一という言葉の重さを知った。

そして、そのこともあって仕事で何かを実現したいというのではなく、個人として何かを実現したいという考えにシフトしてきている気がする。

40代はどんな10年になるだろう。僕はどんな40代にしたいんだろう。何かを残したい。やり遂げてみたい。まだまだもがき続けたいと考えている。出来ることなら週末だけのカフェなんかを営んでみたい。

その前に自宅を購入せねばならない気もするが…

でも、それ以上に夫婦共に健康でいたい。どちらの両親も健在であって欲しい。もちろん兄弟、甥、姪、僕の周りの人たち全てが健康であってほしい。

40代最後の日に素晴らしい40代だったと日記に書けるように日々を過ごしていこう。人生なんてあっと言う間だから。

そんなことを考えた1日でした。