日々の情景

未来の自分が見返すための日々の日記です

90年代のアメ村とパンクロックに憧れていた10代の僕

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先に言っておきますが、今日は酔っぱっています。普段は飲まないようにしているのにチューハイを350ml×2と500ml×1を飲んだので完全に出来上がってしまっている。と言っても日記を書くくらいの冷静さは保った出来上がりではあるんですけどね。

今日はリモートワークだったので1日中家にいました。と言っても始業前にはバイクを磨いたりして、お昼休みにはメルカリの発送手配をしたりとかなり有意義な1日だった。それに終業後は妻が帰ってくる前にご飯を炊き、お味噌汁を作り、鯖の干物を焼くという主夫っぷり。やっぱりリモートワークって有意義な過ごし方ですよね。これで仕事に集中出来れば文句ないのですが、残念ながらあまり集中出来ず…

でも今日はYouTubeの動画を2本並行して編集しているんだけど思いの外、進んだ感じがあります。そんなことは仕事ではなくて単なる趣味なんですけどね…

で話は変わってトップの写真について。これはこの前に日曜日にラコリーナ近江八幡にて撮影したベスパである。ベスパと言えば中学生くらいの時に憧れた乗り物で結局乗ったことはない。混合オイルが面倒くさそうで高校生時代はスズキのベスパことヴェルデというバイクに乗っていたので(笑)しかしあの頃のバイクは楽しさがあったと思う。例え原付バイクでも今と比べると華があった時代だと思う。

ただ今日はそんな話をしたかったわけではない。今日話したかったのは僕が中学生の頃にハマりまくっていたパンクロックの話。もしパンクロックがなかった今のような変な自分はいなくてもっと優等生のままで過ごしていたのかも知れない(笑)いや、今の自分は好きだし何の後悔もしていないけど…

僕がパンクロックに出会ったのは小学校6年生の頃だったと思う。5つ上の兄(今も一緒にツーリングをする兄です)がバンドマンだったのでその影響でラフィンノーズというバンドを聞くようになった。今思えば小学生がラフィンノーズなんておかしいけれど、でも何か爆発しそうな欲求を抱えた思春期の少年にはかなり響いた音楽だった。

それまでもLUNA SEAとかユニコーンとかのロックは聞いていたが、自分にはパンクしかないと思った瞬間だった。

それから色んな音楽を聞いた。COBRAやスタークラブなどの日本のパンクは聞いたし、セックス・ピストルズやダムド、ラモーンズなどの洋楽パンクもかなり聞き漁った。当時はメロコアブームでもあったのでグリーン・デイバッド・レリジョンNOFXランシドなども聞き漁った。もう自分にはパンクしかないと思っていたし、反抗期の少年には最高の音楽だったと思う。そこから、大阪のアメ村に行ったりしてますますパンクにハマっていたのである。

…一体何の話をしているんだろうか。よく分からない酔っ払いの話だけれどあの頃は良かったなという話。あの頃のアメ村はちょっとアンダーグラウンドな空気が漂っていて、古着屋さんとはは普通だったけれど路面店みたいな怪しい古着を売る業者みたいなのが居てスキがあればぼったくられるという緊張感があった。無国籍百貨とか怪しすぎるお店もあった。今思い返せば高度成長期の名残というか法規制ギリギリみたいな世界がそこにはあって刺激をもらっていた。

あの頃の自分が今の自分を見たらどう思うか。多分相変わらずだなあと思う気がする。見た目はおじさんになったけれどやっていることはあの頃と全く変わっていなくて仕事もロクにしていない自分にニヤッとしてくれるのではないだろうか。

かなりどうでもいいというか良く分からない話になったけれど、今もそこそこ楽しんで過ごしているけど僕が10代を過ごした90年代のアメ村はもっと面白かったなと言う話。

この話はまたいつか別の日にもっと掘り下げようか。

明日も仕事があるので今日はここまで。

また明日もがんばりますよ。